予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その6~入院と手術~

長かった「予期しない激痛に襲われた時に困った体験談」も今回でラストです。
発症したおしりの痛みは長期にわたって悩まされました。

 

ここではついに始まった入院生活から手術、そして退院までの詳細について書かせていただきます。

私の通ってた地元のT病院は数年前の夜中に突然腸閉塞を発症し、1人で夜中の一時頃に病院まで歩き、そのまま三日ほど入院したことがあります。

その数年後に改築してからは入院するのは今回が初めてでした。

 

12月8日(土)自宅で入院前の荷物の準備

自宅が近いとはいえ入院すると外に出れなくなるので、持っていく荷物には万全の態勢で準備し、見落としがないか何度もチェックして部屋のレコーダーも念の為一週間分のタイマー予約をしました。

入院は3日間の予定でしたが状態によって延長の可能性もあったのです。

 

そして荷物は大きなバッグ2つに以下の物を入れました。
(※赤字は結局持っていく必要がなかったもの)

<生活用>
・財布(7000円程度)
・スマートフォン+充電器
・歯ブラシ、はみがき粉
はし、スプーン(私の病院では食事についてました)
はさみ(ガーゼなど切る時など必要かもと言われましたが何かと看護師が処置してくれました。)
・Tシャツ×3
・パンツ×3
・靴下×3
・上着(寒かった時に羽織るもの)
・ジャージ(ズボンだけ)
・サンダル
・顔用、風呂用タオル×2
・バスタオル×3
・カミソリ×2、シェービングジェル
ボックスティッシュ(必要に応じポケットティッシュで充分)
・シャンプー、リンス
・石鹸
・入院に関する書類
・薬(お腹の薬、アトピーの薬)
・イヤホン
・これら荷物のメモ(退院時にチェックする為)
・コップ(完全に忘れてたので院内のコンビニで購入)

<娯楽用>
・ジャンプ2冊(未読分)
漫画6冊(バクマン、ほとんど読めなかった)
・ニンテンドー3DS(ゲームは6本)+充電器
・IPAD+充電器
ヘッドフォン(イヤホンがテレビに合わなかった場合の為)

<ブログ更新用>
・Gmail経由で必要なURLのアカウントやよく使うコードやテンプレートを全て送信しIPADで確認
筆記用具、ノート

 

重い荷物

自分でいうのもなんですが入院は過去に最長一ヶ月半したのを含め4回目なので慣れてます。
点滴なんて数え切れなくいらい腕に針をさされてきました。

入院でこんなに荷物を持っていってアホかと思われるかもしれませんが、入院中はとにかく暇なので少しでも普段できないことをする時間にも充てたいと思いました。

私は環境が変わると絶対に夜に眠れない日もあるし、とにかく時間を無駄にしたくなかったのです。

症状にはずっと悩まされましたが命に関わる危険性のある病気ではなかったのでそれはご了承ください。

 

今までの入院と違ってIPADを手に入れたので勉強や本の類のものは持っていく必要がなく、買ったけどなかなか読めなかった漫画やゲーム批評の記事のネタになりそうなゲームをいくつか持ってきました。

そして昨年(2017年)からブログを始めてるので、初のIPADでのワードプレスの更新にチャレンジしてみようと思いました。

もちろん、普通は入院してまで無理する必要はまったくないですし大人しくしてるのが基本ですが、私は手術が終わって痛みがひどくなければ自分のタイミングで帰れるとT先生から聞かされていたので、病状こそ厄介でしたが、手術日以外は大人しく寝たままで過ごす必要がないのはわかっていたのです。

 

20年前に一ヶ月半入院した時は絶対安静で2週間以上寝たままでしたが、以降、首と肩がガチガチで固く重くなりました。
血行が悪くなってるようで、自分は痩せてるのに顔だけが若干むくんでる状態がずっと続いています。

もし今回もベッドで寝てる時間が長いと、このむくみがさらに増すのも恐れてました。

それに今回も少しでも早く仕事復帰を目指すことと体が固くなるのも心配だったので極力、退屈しないように起きていられるような環境づくり病院内ですると決めてました。

 

12月9日(日)T病院(7回目)ついに入院

入院当日、午前10時前に自宅からわずか徒歩5分程のT病院に到着。
この日は日曜日だったの正面口は開いてなく、裏口から受付をすませるとすぐに病室へと案内されました。

 

病室はどこになるか少し不安でした。
4人部屋は無料ですが、2人部屋は一日8000円、1人部屋や特別室になるとそれ以上になります。

入院するまでも何度も病院に行って薬をもらってここ2ヶ月近く医療費がかかってたので少しでも負担を減らすために4人部屋を希望していました。

私はあまり周りがうるさいと寝れない方ですが、一応病院ですし、せいぜい三日から長くても一週間くらいの入院でしたのでそこは構いませんでした。

もともと自分が入院日を指定できたのですが、それから希望の部屋が空くのがわかるのが前々日くらいだったので不安でしたが、それまで病院から連絡がなかったので予想通りの病室は希望した4人部屋でした。

 

私の病室は隣の一人だけカーテン閉めてすでに患者がいたようでしたが、他の2つは空いていたので人数が少ないことに安心できました。

ちなみにテレビを見る為のカードは千円で購入でき、約10時間見れます。

 

12月10日(月)手術当日・不自由な寝たままの辛さ

そして翌日、訪れた手術の当日。
そんな時間のかからない簡単な手術と聞いててもやはり緊張します。

 

この日は飲食が禁止され、手術後は麻酔の影響で足が動けず絶対安静でベッドで寝たきり状態になると説明されていたので先にシャワーを浴び、13時から手術が始まりました。
恐らく自分で歩いて手術室に行ったのは初めてです。

 

そして手術室でうつ伏せに寝かされ、背中から「下半身麻酔」の注射が打たれました。
痔瘻の手術は患者が眠ってしまう麻酔ではなく、起きたまま手術されます。

起きたままの手術、というのが余計にハラハラさせませすね。

 

私は麻痺する状態というのは味わったことがなかったのですが、やがて下半身が徐々に熱くなってくるのがわかり、それから下半身全体が布団に覆われてるような感覚になり、麻酔が効いてきてると実感しました。

腰から下が味わったことのない、切り離されたような異常な感覚で、曲げるどころか足の指さえ動かせない状態です。

 

手術

そして手術を担当する先生が入ってきました。

もちろん数日前に口論してた見覚えのあるT先生でしたが、その日はしっかりと手術用の装備をして別人のように見えました。
もうこの日は素直に「よろしくお願いします」と動ける上半身で私は声を発しました。

 

しかししつこいようですが起きたままの手術というのは…。
まずはベッドが変形し、まるで教室の机に伏せて腰だけ立ってる感じの体制にされました。

やがておしりの方からドウルルルーーーーー!!となんかドリルのような?音が聞こえてきました!
続けてドッドッドッ!と患部に向けて何かが侵入してくるように体が揺れ、何かされてる感覚だけはありました。

その後、今度は中からズル、ズルと何かを何度も引っ張るようなことをしているようでした。
(おそらく病原を取り除いてる?)

「●△◆…!」
「×〇〇$!!」

医師達が何か会話をしてるようですが麻酔のせいか頭がボーっとして何を言ってるかまるでわかりません…。
(ええ?思ったよりうまくいってないのか?)
と、変な不安さえよぎりました。

 

そして、40分か50分くらい経った頃、手術ようやくは終わりました。

T先生が動けない私のそばにきて
「ちゃんと終わったよ、ここから膿や血が出ていたんです。」

 

グロい物体

※イメージに近いのが見つからなかったのでウメボシのフリーイラストを加工しました

 

その時見せられたのが全体の幅が10センチくらいのこげ茶色で赤い血が混じったとてもグロテスクな物体でした。
正直、気持ち悪かったです…。

これがおそらく「その4」で先生に説明された「膿が溜まってて痔瘻の原因と出血や膿の道を作ったもの」であり「私に2ヶ月近く痛さと苦しさと恥ずかしさを与えた」なかなか姿を見せなかった憎くて憎くてしかたなかった元凶の「瘻管(ろうかん)」だということがすぐ理解できました。

 

(こんなのものがいつの間に体の中にできてたんだ…)

 

そう思うとゾッとしましたが、これを採り除いたことにより今まで尻の少し外れたところから出てた血と膿が混じったような液は日数は要しますがそのうち止まってくると思われます。

気持ち悪い話ですみません…。

 

病院のベッド

その後はベッドに寝かされたまま病室に移され、点滴を刺され、尿道には管が取り付けられました。

脚の麻酔は長時間続くし手術後は絶対安静でトイレに立てないのでお小水を管から袋に移して処理する形になります。
これは過去に腹膜炎で入院してた時は一ヶ月近くつけてて久々だったのですが、本当に違和感があって気持ち悪かったです。
横になったりするとバランスが悪くなり、中で尿が流れ、溢れてる不快感が出てくるのです。

 

その不快感は手術後から夜中まで続くし、寝たままで上半身しか動けず行動できる範囲が限られてたので一番苦しい時間帯でした。

しばらく我慢してましたが寝る時でも段々と状態が悪くなり、結局、管をずしてもらいしびんで対処することにしました。

若い女性である看護師さんは「寝ながらしびんで処理するやり方」を必要な時に教えると言われましたが、それはさすがに恥ずかしくて嫌だったので、こっそりと少し状態を起こして自分で勝手にやりやすい態勢にして処理しました。

 

12月11日(火)自由に歩ける喜び

入院3日目。
手術をした翌日。

麻酔の効果も完全に消え、脚が普通に動けるようになってました。

当初不安に感じてた手術後の患部の痛みはそれほど感じませんでしたが、出血は肛門と痔瘻の跡の二カ所で続いてたのでおしりには常時ガーゼをあててる状態です。

ただ、点滴もはずれ、もう寝たままでいる必要はなくなったのです。

 

とにかく普通に起き上がって歩くことができるだけで感動しました!

ずっと寝てたのは前日だけでしたのでそこまで起き上るのはきつくなかったですが、やはり首や肩にだるさを感じました。

ただ、今後は普段通り一日中机に向かって仕事ができるようにならなければならないので、試運転も兼ねてこの日は机のある談話スペースで「ブログの更新作業をする」ことを目標に決めました。

入院なんだからそこまでしなくてもいいかと思いつつも「もし、できたらやろう」くらいの気持ちでしたが気になるほどの痛みがないし、絶対安静の指示もなかったのでやるしかないと。時間はありますし。

 

机で作業

よく使うテンプレートやコードなどはきちんとIPADで確認でき、作業事態は可能なのですが

おもいのほかIPAD上でワードプレスの文字入力がやりにくい…。

しかもコピーする範囲を指で選択するのがなかなかうまくいかずかなりイライラしました。
それでも時間があるのでゆっくりと、今後のもしもの時に備えて練習もこめてIPADで新しい記事を作成することにしました。

 

昼飯後の12時半から夕食の18時まで適度に休憩をしつつゲーム批評の「閃の軌跡4」のページをある程度作成することができました。

これだけの時間、椅子に座っての作業もおしりの痛みは気にならなかったので仕事もなんだかいけそうな気がすると思え、ひとまず安心することができました。

 

もう退院は目の前です。

ただ病院の食事って本当に不味いですよね…。
なんていうか普通の料理に入れない組み合わせを出してきます。
豆腐型の味のない玉子焼きにネギやピーマンが埋め込まれてたり。
インゲンだけ50本近くお皿にあったり。

あえて薄い味付けにしてるのもあるでしょうけど、、、。
昔の入院の時もその反動で濃いめの味を好むようになったのも今回の病状の原因かもしれません。

 

12月12日(水)ついに退院!

とくに問題がなければこの日は退院が予定されてる日でした。
ただ、20年以上前に入院した時は予定されてた日の前日、検査の結果があまり良くなかったため、急遽延長されるという地獄に突き落とされる悲劇に遭いました。

 

そういうこがあってか心の準備をしていたまま午前9時ごろに手術をしてくださったT先生が病室にやってきました。

開口一番、「今日、退院でしょ?」

「!!」

もう退院前提で話が始まってた感じです。

 

そして患部を見て
「うんうん、出血はしばらく仕方ないけど…。退院は大丈夫でしょう。」

 

感激

…やった!!!
(テテテテッテッテー♪レベルが上がった!)

 

思えばこのT先生とも最初の印象の悪かったところから始まり、ぶつかり合ったこともありましたが手術もきちんとやっていただき信頼が築けたと思ってます。

退院が確定してT先生が去った後、妙にテンションが上がり高速で荷物の片づけをはじめました。
そして先生と看護師の方々に挨拶し、重たい荷物を二つかかえて

ついに、病院を出ました。

 

帰りには昼食用にマクドナルドの期間限定の「濃グラコロ」を買って帰ると決めてました。

そう、私は味のある食べ物に非常に飢えてたのです。

 

マクドナルドグラタンコロッケバーガーグラコロ

 

そういえば二十年以上前に一ヶ月半入院した時もグラコロ(グラタンコロッケバーガー)が初めて出た時で、入院中の絶食の中、テレビのグラコロのCMで流れる映像でコロッケの中にグラタンを入れるという大胆な発想の味がまったく想像できない未知のバーガーに非常に興味が高まってました。
その時も(退院したら絶対一番先に食べる!)と決めてて。

私はグラコロにはそんな思い出があったのです。

ただグラコロが出る前は入院しやすいなんて変なジンクスになってなければいいですが。(苦笑)

 

退院後の様子

退院した後も座る態勢によっては少しお尻に痛みが発生しますし、出血は続いています。

ただ出血に関しては入院前から何日もしてましたし、痛みに関しては今回症状が出始めた頃の方が数百倍痛かったのでまだマシでした。
それに血は段々おさまっていくという話です。

 

最初に今回の病状が発生したのが2018年10月の半ば頃。
その時は入院して手術するまでなるとは思いもよりませんでした。

そして約2ヶ月経ちようやく一区切りつくことができました。
今後も再発する恐れは体質的に「絶対ない」ということではないですが、これまでの無茶しすぎた行動も含め、あのような何もできなくなる激しい痛みと苦しみの日々は二度と味わいたくないし、入院となると何かと大変なので今後はその辺りに細心の注意をはらって生活していきたいと思います。

 

痔瘻は本当に周りにも恥ずかしくて言い辛いですし、座ることができないほどの激痛ですし手術が必要なほど厄介な病気です。

「予期しない激痛に襲われた時に困った体験談」はひとまず今回のその6で終わりとなります。
その1から読んでくださった方は誠にありがとうございます。

あなたも自分で気づかないところで体の負担がかかってて予期しない病気にならないように気をつけてくださいね。

私も近い将来「その7」を追加して作ることがないように心掛けたいと思います。

 

予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その1~それは突然襲ってきた~

尻の痛み過去に腹膜炎を患って一ヶ月以上の入院経験がある私。
退院後も後遺症で色々悩まされましたが、つい最近もある箇所が激しい痛みを襲ったのです。
それは日常生活に大きく影響するほどの症状でした。(18/10/25)
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予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その2~痛さと恥ずかしさと心細さと~

病院2ある意味、過去の腹膜炎での入院生活に匹敵する痛みと苦しみに襲われる日々。
病院を何度も通うことになるのですが、患部が患部だけに恥ずかしさと治まりようのない激痛をかかえて日常生活で苦悩する様子を書かせていただきます。(18/010/28)
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予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その3~MRI検査と内視鏡(大腸)の検査~

MRI検査数年ぶりに受けることになったMRIと内視鏡(大腸)の検査。
MRI検査時のその異質な空間と意外な検査結果に驚かされた私。
内視鏡は腸内を洗浄することが非常に困難でした。(18/11/07)
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予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その4~病名確定~

病名確定単なるおしりの痛みの発症かと思えばMRI検査や大腸の検査を受けるなど事態は重い方向へと傾き、不安の治まることなく検査結果で病名がわかりました。
それは決して緊急ではないのですが、入院して手術を受けなければ完治できない病気でまた苦悩することになりました。(18/011/23)
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予期しない激痛に襲われた時に困った体験談その5~入院前の衝撃と衝突~

血液型の総意と医師とのケンカ大きな検査も終わり、あとは入院の準備や手術前の話を聞きく為だけに病院を訪れたある日、そこでは思いもよらなかった展開になりました。
なんと検査結果でA型の自分がO型と判定され、困惑する私。
その後の医師との話中では怒りを露にすることになります。(18/12/05)
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